2002-07-17 第154回国会 参議院 総務委員会 第21号
言うならば、基本的に、私は政治家としてこの郵政の、いわゆる通信と郵政三事業を分解したことすら反対でありまして、当時は在野時代でしたから私は何とも致し方なかったのですが、しかし、事ここに至っては、この三事業を前島密というすばらしい先達が、国民のあるいは全国の正にあらゆるところに至る人たち、国民に対する平等、公平、そして安心、安定ということを、政治の恩恵を与えるための手段の一つとして、行政の信頼を言うならば
言うならば、基本的に、私は政治家としてこの郵政の、いわゆる通信と郵政三事業を分解したことすら反対でありまして、当時は在野時代でしたから私は何とも致し方なかったのですが、しかし、事ここに至っては、この三事業を前島密というすばらしい先達が、国民のあるいは全国の正にあらゆるところに至る人たち、国民に対する平等、公平、そして安心、安定ということを、政治の恩恵を与えるための手段の一つとして、行政の信頼を言うならば
いいにつけ悪いにつけ、それはいい意味での改正、あるいはもう一つの意味では強い意味での問題、両方の意味だろうと思うんですが、私はいい方に受けとめているんだけれども、いずれにしても、この倫理法というのは何かある一時期の風潮でぶわっとやってしまうというようなことでやったとも、私はそのときは在野時代だから言いませんよ、言いませんが、しかしどうもそんな風潮もあったんじゃないかなと。
ただ、私は、通産省の諸君たちの名誉のためにも、私はかつてダイオキシンの問題で、これはたしか私はまだ在野時代だったんじゃないかと思うんだけれども、思い出せませんが、時期が。
田川自治大臣は在野時代に、大変政治倫理の必要性、また政治に対する大変厳しい反骨精神と申しまするか、私ども見ておりましても社会正義に立脚した発言が多かったということで、私は、そういう面で敬意を払っておる一人でございます。それだけに、今度の第二次中曽根内閣の中にあって、私は、一面から見れば、国民の中で新鮮な感覚を持って迎えられておるのではないかというように思います。
○国務大臣(大平正芳君) それは政府が出したものではございませんので、私の在野時代の記録として、あるいはそう書いてあるかもしれませんが、私の考え方を改めてお尋ねいただくならば、私は、内政、外交、いずれが優先するというようなことは適当ではないと考えておりまして、そういう書き方をしたとすれば、余り適切でなかったのではないかと思っています。
○鈴木国務大臣 最初に、イシコフ大臣とは、私が農林大臣を引き受ける前、在野時代から、日本においでになれば個人的なつき合いもございますし、信頼関係、友情関係もございます。
○鈴木国務大臣 日ソ間の漁業交渉、これは過去十数年にわたって行われてきたわけでございますが、私は在野時代からも、この漁業交渉や経済問題での話し合い、その他の問題を全体として対ソ外交というものを展開しなければならない、漁業だけを切り離しての交渉というのはどうしても日本は不利な立場に置かれる、こういう考えを常に持っておったわけでございます。
立法論的ないろいろな問題については、改善策等については私、在野時代に私の所信を表明したことをいまさら私は隠すわけではございませんが、これは当時私が自由な立場でいろいろと考えておったことを表明をいたしたわけでございますが、ただいまの状態、置かれた立場としては、中医協の制度というものをこれを十分に尊重したし、この中から問題の解明をいたさなければならないという所信については、これは間違いのないところでございます
同時に、こうした在野時代の間違った発言という問題については適切にこの処置をして了解を得るということで、いまの中医協というものの再開については、やはり諮問をきちんと出すという意見もかなり強いわけですから、こういう点での解決についてぜひ再検討してもらいたい、私はこういうふうに考えます。
しかも、この点は、大臣も在野時代から指摘し、いまでもそれを強調されているんですがね。私は、ここであえてお尋ねしたい点は、その永井さんを任命されたところの三木さんの物の考え方が、私はどうも腑に落ちないんですね。これはこの間の予算委員会のところの問答を、大臣もそばでお聞きになられたと思う。いわゆるこの学歴社会の問題について、依然として御自分のことしか考えない。
○宮之原貞光君 地方大学を充実をしていくというのは原則的に賛成ですが、そのことと大臣が在野時代に書かれた大学公社論とはどういう形になりましょうか、いまのと組み合わせて考えてみた場合に。ちょっと所見を伺いたい。
○国務大臣(田中正巳君) 四十七年八月ですか、現在の三木総理が在野時代だと思うんですけれども、このようなことを申したといううわさを私も率直に言って聞いておるわけでございますが、今日までのところ三木総理に一体このようなことをいついかなる場面でどういう心境でお話をしたかということについては、確かめてはおりません。
精通しておるということはどこからわかるのかというと、私が在野時代から、私に対して何十回、数十回文書が届いております。自分の書いた絵を色紙にして送ってきたりしておる。直ちにその場において焼き捨てたり、読み捨てたりしておるわけでございますが、そういう経過を見ますと、非常によく研究ができておる。そうして今日までに十八年間の間に再審の願いを提出すること実に十四回、かつて前例を見ざるやり方でございます。
○国務大臣(中曽根康弘君) アメリカが過般いろいろな経験をしまして、そして世界の警察として介入し過ぎたと、そういう批判がアメリカ国内あるいはアメリカの議会筋からも非常に出、ニクソン大統領も、在野時代からそういうことを痛感して、大統領になられてから、その政策を修正して、世界の警察官というような、世界から過剰介入と思われるようなことはやめる、ですから、民族的内戦と思われるようなものにはなるたけ手を出すまい
ただ他省のことでありまして、私がそこまでやれということが実は私の場合言えませんが、秋田さんは、私の党内のことを申して恐縮ですが、一貫して同和対策の特別委員長をしておられまして、私は政務調査会におりまして渋ちんのほうで査定みたいなことをしたのですが、秋田さんの熱意は在野時代にたいへん私は高く評価しております。
ニクソン大統領は在野時代「フォーリン・アフェアーズ」にこのASPACに関していろいろなことを書いたことがありますが、それは過去のことで、いま直ちにアメリカ政府の態度も明確でないけれども、しかし、いずれにしても、全体としてこのASPACの軍事化という問題がいままでよりもさらに進められるのではないかというのは、私の単なる個人的な杞憂ではないと思いますが、そういう情勢を前にして、外相のこの会議に臨む基本的
この点は、在野時代のニクソン氏の主張ともつながるところがあるのではなかろうかと見ておるわけでございまして、自由化の方向に政策を持っていって、世界的な拡大経済の発展を望むということであるならば、基本的にはわれわれと考え方が一致すると思います。
○国務大臣(愛知揆一君) ニクソンさんのその在野時代の御意見で、「フォーリン・アフェアーズ」に書いてあるということ、私もつぶさにこれは読みました。
私は、ニクソン氏が大統領になられましても——いままでの在野時代の発言などをとやかく批判することはいかがかと思って差し控えておりますが、私、最近の問題では、むしろ、わが国の朝日新聞、これは名前を言ってはいかがかと思いますが、ニクソン大統領が当選した後にインタビューして、そうして話をしておる。
いわゆる在野時代にいろいろの話をしている、それを一々とって私が批判することは、これはいかがかと思います。したがいまして、「フォーリン・アフェアーズ」に出たというその記事、それを相手にしていまここで議論することはいかがかと思う。
在野時代にいろいろな発言をいたしました、それが何かと考え方にも残り、そして、ああでもあろうか、こうでもあろうかというような想像がいま出ておるようでありますが、それらの点については、私はただいま批判を差し控えます。いずれ政権成立後いろいろその考え方がはっきりすると思いますので、当方におきましては、日米友好関係、そのもとにおいてアメリカと話を進めていくつもりでございます。
あなたは、在野時代、池田氏と総裁のいすを争った際に、「明日へのたたかい」と称するパンフレットで自己の政治信念を表明されましたが、その中で、「われわれは、今日物質万能の中に埋没した人間性の回復こそ政治の使命であると考える。したがって、政治の基本は人間尊重にあらねばならない。